心理的安全性を低下させた正論とリーダーの行動(会社と組織の心理的安全性)

チームで議論する様子

心理的安全性という言葉はご存知だろうか。

心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。

Google 「効果的なチームとは何か」を知る

Google のプロジェクトでよいチームの条件なにか?を調査したところ、スキルが高いメンバで構成されたチームよりも、心理的安全性の高いチームのほうが成果を上げていたという結果が出て大きく広まった言葉だ。

こんなことを言ったり聞いたら無能と思われないか?という恐怖がないので、コミュニケーションは潤滑になるし、何か問題があれば発見されやすい。またアイデアも自由に議論できるのでイノベーションが起こりやすくなるというわけだ。

私のいる会社も、組織を大きくを変えよう、そのために心理的安全性は大切だとCxO (ぼかし)が説いて社内SNSで都度都度発信している。

その社内SNSのあるメッセージから、心理的安全性ってエラい人に何でも言っていいってことじゃないと思った話。


心理的安全性を説くCxO に送られたあるメッセージ

ある日一人の社員がCxO 宛にこんなメッセージを送っていた。「改革って言うんだったら、毎日使っている社内システムのここ直してくださいよ!そのくらいすぐできますよね?」その後、その社員は別のチャンネルで「言ってやったぜ!」と仲間内に発信していた。

確かにそれは毎日使うシステムで、1クリック多い構成になっていたが、その手間がかかるのは1日1回だけだった。

もちろん私もその手間がなければ良いなとは思うが、正直傍から見ていると大事の前の小事というか、大きな改革を進めているCxO に対して言うことか?としか思えなかった。

恐らくその社員は、以前からその手間以外にも社内に色々な不満を持っていたのだろう。そこで心理的安全性を高め自由に議論しようというCxO に、これまでの不満をぶちまけたのだと思う。


正論をありのままぶつける人がいるチームは心理的安全性が低下する

その社員からすれば、それは正論だったのだろう。大きな改革よりも、日々困っている私達を見てくれよ。こんなに困っているんだ。自由な議論を歓迎するなら言ってやると。

大きな改革の前にそんな小さなことを言ってはいけないということではない。もちろん何に困っているか声を上げなければ伝わらない。ただ、その伝え方に相手への配慮がないことが問題だ。

そもそも、そんな言われ方をして相手もよしやろう!と思うだろうか。またその周囲の人が感じるのは、よくぞ言ってくれた!という称賛の気持ちではなく、恐怖だ。恐怖を感じるのはエラい人に楯突いたからではなく、その正論の矛先がいつか自分に向くかもしれないからだ。

そうなると心理的安全性を説く方も気が削がれるし、周囲の人もその人に声を上げなくなる。結果、その場の心理的安全性は低下していく。

こんなことを書くと、お前は体制側の人間か?なぜそう言えるのかと思うかもしれないが、これは自身の経験からだ。私も以前は正論をありのままぶつける人間だったからだ。


チームをより良くしようと正論をぶつけまわっていた私に、メンバーが言ったある言葉

以前、あるチームのリーダーを任された。新しいプロダクトを作るプロジェクトで、複数あるチームの一つだった。初めてリーダーを任されたのでチームをより良くしたい、プロジェクトを成功させたいと強く思っていた。

そのプロジェクトは難航していた。新しいフレームワークを採用して、皆手探りで進めていた。特に皆が使う共通基盤に問題を抱えていた。使い勝手が悪く、レスポンスも出ていなかった。

そこで私は全チームが集まる場で共通基盤チームに、皆がどれだけ困っているか、こうするべきだと声を上げた。またその後も、他のチームの対応に納得いかない箇所があれば都度都度声を上げた。

当時の私からすれば義憤だ。なぜ正しいことをやらないのか?怠惰だと相手を攻めた。またなぜ他のチームは声を上げないのかと憤った。だがそこに相手への配慮はなかった。

そんなある日、会議に一人のメンバーを連れて出た。彼は次期リーダーにしようと育成を兼ねて会議に参加してもらっていた。会議で私はいつものように他チームに正論をぶつけた。それはおかしい、こうするべきだと。

会議後、彼に会議の感想を聞いた。そこで出てきた言葉は「怖かった」だった。皆の困っていることに声を上げることへの称賛ではなかった。

振り返って自身のチームを見てみると、チームに自由な議論など起きていなかった。それどころかチームに蔓延していたのは、問題を起こせば私に正論でまくしたてられるのではないかという恐怖だった。

チームをより良くしたいと思っていた自分自身がチームを悪くしていた。当時はまだ心理的安全性という言葉は広まっていなかったが、今考えると私のチームは明らかに心理的安全性が低い状態だった。


心理的安全性の高い場とは

心理的安全性の高い場というのは、言葉を選ばず誰にでも何でも言っていい場ではない。むしろその逆で、相手の状況も慮り、それでもより良くするために臆せずに正しく声を上げられる場だ。

正論だからといって、相手の状況を鑑みずにぶつけていては心理的安全性は低下する。言われた相手だけでなく周囲の人も恐怖で声を上げなくなるからだ。

また心理的安全性の高い場を作るというのは組織のトップやリーダーだけが意識し、行動すればよいというものではない。一人の発言や行動で容易に心理的安全性は低下するからだ。

心理的安全性の高い場を作り、それを維持するにはメンバーも含め、一人ひとりが意識する必要があるのではないだろうか。

そしてそれは、これまでより高い対人スキル、マインドを要求されるように思う。

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